デジタルによる機能崩壊と能力封印

考察ログ - Posted by Mana Kaneuchi on 28 May 2024
人間同士の接点がデジタル化するにつれ、人間装置とその可能性が封印されている。その破壊的な影響と理由を技術的に考察し、解決策を立案。

概要

洞察レポート「結界魔術と人間装置の構成」で検討した、魔術における演算領域やメンタルモデル関連の考察。デジタルの本質を見極め、依存によるリスクを理解し、能力開発と課題解決における活用方法を模索。

論点・要点

論点は「デジタル技術によって損なわれている人間装置の機能と可能性」であり、考察の要点は以下。

最初に結論から入り、その根拠を検証する。最後に破壊的影響を建設的な影響に変容させるための錬金術をデザインする。課題・根拠・解決策という3つの要点から論点を解く。要点の再統合が最終的な結論・解決策へと再構築される。


デジタルの破壊的な影響と代償

デジタルの破壊的な影響とは「能力の低下、もしくは封印」である。その代償は「情報密度の低い状態かつ省エネモードでゾンビのように生き、他者に支配・操作されること」であり、術式はすでに完成している。

デジタル業界に入って21年が経った。2003年からグラフィックデザイン、システム開発、サーバー管理、コンテンツ運営、各種マネジメント、コンサルティングから起業まで、なんでも挑戦し、なんでも試してきた。

そして身をもって経験したことがある。

デジタルに入り込みすぎると、能力が低下する。デジタルに依存しすぎると、人間としての機能が衰退する。抽象的に表現するならば「立体の人間が平面的な存在へと退化していく」ような感覚である。

このことに気づいたのは約10年前。それまでは、ただガムシャラにデジタル技術を習得し、実装から設計までを独学でこなしてきた。サーバーを構築しては破壊し、何百回もOSをインストールし、Webサーバーやメールサーバーなどを管理し、プログラミング言語とデータベースでアプリを開発した。

仕事もプライベートもデジタル化して20年以上経った今だから判るのは、デジタル世界は現実世界(という名の仮想宇宙)の劣化版でしかないということだ。人類的な言葉で表現するなら「次元を落とした劣化版」であり、より正確な表現では「情報密度を著しく落としたレプリカ」である。

レプリカとは偽物、模型、模造品、複製という意味で、辞書を引くと「何かの正確な複製、特に尺度を小さくしたモノ」という意味がある。アートでいう贋作のようなモノであり、クルマでいうロータス・スーパーセブンの偽物である。さらに情報密度という文脈でスケールを極端に下げた宇宙が、デジタル世界である。

要はマインド宇宙の劣化版がデジタル世界であり、仮想宇宙のサブシステム「幻想システム」である。

破壊的な影響とは、情報密度の低下

情報密度が低下するという破壊的インパクト。これまで洞察レポートや考察ログで何度も言及してきた、この情報密度。人間装置というマインド技術の演算領域と密接な関係がある。

要は 「事象を認識する能力が低下していく」 という破壊性を持つ。

デジタル世界に依存することがなぜ認識能力の低下に関係するかは、後ほど実際のコードで検証する。ここで明記しておきたいのは、デジタルとは本質的に迷宮であり、直線性に縛られているということだ。

本来であれば瞬時に多面的な理解が得られるはずのモノゴトを、不必要に引き延ばし、遠い未来に理解を先延ばしするような技術仕様になっている。

その世界にドップリ浸かり、ベッタリ依存するということは、濃密な現実をペラッペラの薄い幻想に変換し、今ここにある高密度なテーマを遠い未来に先延ばしにすることと同じである。

迷宮画像

生成AIに迷宮を描いてもらった。生成AIは迷宮と迷路を同じものとして扱っているが、愛嬌として見逃してあげてほしい。

迷宮とは、構造的に単純で直線的に引き伸ばされた道を延々と進んでいくタイプの建造物である。似た用語に迷路があるが、こちらは行き止まりを含む、複雑な構造である。デジタル世界は前者の迷宮であり、延々と直線的に長い道のりを歩まされる。

画像を見ても分かる通り、二極のエネルギー(バイナリ)に支配され、左右の判断だけしていれば、いつかはゴールにたどり着く。そんな技術仕様になっている。

ゆえに情報密度的にはスッカスカであり、無駄に時間がかかる。これは能力の低下である。

代償は、劣化した仮想宇宙への隷属

認識能力が低下するということは、容易に操作・支配されやすい「脆弱な状態」ということでもある。

スマホに振り回されている状態は、まさしく操作されている脆弱な状態ではないだろうか。筆者自身もケータイやスマホに依存していた時期があるので、シッカリ経験している。以前の洞察レポートで「惰性と怠惰は支配術式の一部」という検証を行ったが、そのことである。

カンタンに説明すると、極端に演算領域を小さくし、省エネモードで判断力を奪い、猪突猛進させる「術式」がデジタル技術と深い関係にある。

デジタルとはバイナリコードであり、ゼロイチで判断する二極のエネルギーに支配されたテクノロジー。ある意味、人為的にコントラストを強烈にした、極端なシステムなのである。

自動車の運転に例えると、前後左右という平面術式を展開し、左折の場合右しか見ないという省エネモードで生きるよう(あらゆる手段で)焚き付ける。その平面術式とデジタルの相性は最高だ。仮想空間で立体を体験していようが本質は変わらない。

先ほどの生成AIが描いた迷宮を思い出して欲しい。

情報密度の高い状態であれば、迷宮全体を瞬時に認識できるはずで、これが通常モードというか認識能力の高い状態。一方、デジタル世界で劣化モードで生きていると、スタートからゴールまでほとんど何もわからない。手探りで直線的に進むしかない。

方向感覚と時間感覚を狂わせる術式であり、魔法科高校の劣等生というラノベに出てくる「鬼門遁甲術」のような作用がある。ちなみに奇門遁甲ではなく、方位感覚を狂わせる古式魔法という架空の設定。いわゆる認識阻害の魔術であり、その術式がデジタル技術として実装されているということだ。

デジタル世界でアプリ開発した経験があれば、よく判るはずだ。

開発者はデザインの段階でロジックやシステム全体の振る舞いを認識している。これが情報密度の高い状態で、直線時空に支配されていない状態。一方、ユーザーはアプリをシーケンシャル(手続型)に使っていく。直線時空に支配されており、スタートからゴールまで手探りで進む。

ユーザーが特定のタスクを完了した成功体験がメンタルモデル化され、常に同じモデルで異なるタスクを完了させようとしてシステムエラーになっている状態が、現在の社会という機能不全状態である。

自動化画像

この画像は、ビジュアルプログラムで組んだ「時限術式」である。ある周期でプログラムが自動実行され、さらに別のプログラムに連携されるよう術式が組んである。

情報密度と認識能力が高い状態では、少なくとも視認できる範囲のシステム全体を認識している。その上で、連携先である不可視のシステムも認識しているのが理想的だ。しかし、デジタル世界で二極のエネルギーが支配的な状態だと、システム開始地点から一歩ずつ手探りで進んでいかなければならない。

このことからも、情報密度の高い状態で活動している人間や地球外知性体が未来を正確に予測できるのは当然のことであり、不思議なことではない。それは占いとは(次元が)異なる。


デジタルは地図、土地ではない

デジタル世界に展開されているモノゴトは地図である。地図を見て土地を体験しない現象を空想・幻想・思い込みという。デジタル依存は看板を見ただけで体験したと錯覚することに等しい。

かつてインドに出張していた時、気づいたことがある。看板を見ただけで体験したと錯覚してはならないと。

ニューデリー郊外に滞在していた時、人生で一番汚い川を見た。真っ黒で強烈に匂う川とゴミでできた両岸。そこにテントを張って生活しているトライブ。その川に近代的な橋がかかり、少し遠くにオフィスビルが見える。その橋から見えるようにファストフードの巨大な看板が立っていた。

看板画像

この画像は生成AIによるもので、実際とは異なるが、イメージは伝わると思う。

東南アジアよりも強烈な環境汚染と貧困、そして格差を象徴するかのような看板を見た時、我々人類は看板のような世界を生きているという実感を得た。要は現実との乖離というか、集合的に現実と認識している世界が看板のような薄っぺらい幻想なのではないか、という気づきである。

このような不思議な体験にインドでは何度か遭遇することになった。結果として食中毒で寝込んでいる時に、テレパシーで頭の中に数字が大量に流れ込んできて、それをパソコンでリアルタイム計算しながら、宇宙の構造を調べ始めることになった。それが約10年前である。

デジタル世界は看板と同じ

デジタルという劣化した世界。それは仮想宇宙のサブシステム(レプリカ)であることは、すでに述べた通り。次はレプリカの構成を調べる。情報のバイナリ化を検証し、レプリカという「看板」で体験を錯覚するリスクについて検討し、前述の「情報密度と迷宮」と統合したい。

インドの体験では、看板世界の派手なファストフードは単なる幻想であることを示した。豪華なサンドウィッチの写真はペラッペラの代理情報でしかない。その看板を見てサンドウィッチの味を想像したところで、幻想でしかない。もはや当たり前の認識で、あえて記載する必要のないことである。

しかし、デジタルやテクノロジーという文脈では、我々はそのことに無自覚である。

普段お使いのスマホやラップトップは、すべてバイナリコードで動いている。バイナリコードとは「01」で構成された世界であり、世界式はすべてゼロイチで処理される。現実世界(という名の仮想宇宙)の情報を削ぎ落としまくって体裁だけ整えたのが、バイナリ世界というハリボテ、つまり看板なのだ。

マインド技術研究所の英語名「Umagick Lab」から「umagick」という単語を取り出し、バイナリ変換してみる。バイナリ変換するということは、コンピューターが計算する形まで落とすということだ。

umagick
01110101 01101101 01100001 01100111 01101001 01100011 01101011

次に「マインド技術研究所」という固有名をバイナリ変換する。同じ計算は「RapidTables」というサイトの「String to Binary Converter」というメニューから行うことができるので、実際に試してもらいたい。

マインド技術研究所
11100011 10000011 10011110 11100011 10000010 10100100 11100011 10000011 10110011 11100011 10000011 10001001 11100110 10001010 10000000 11101000 10100001 10010011 11100111 10100000 10010100 11100111 10101001 10110110 11100110 10001001 10000000

頭でこねくり回さず、心で受け取ってみて欲しい。心で受け取るとは、マインドシステムの一部であるハートを開いてマインド全体で情報そのものを受け取るということだ。

デジタルなメンタルモデルでフィルターしないという意味でもある。文字のマッピングなど細かい技術仕様を云々せず、情報エネルギーをそのまま受け取るということだ。

結論から述べると、まったく別物に変わってしまっている。マインド技術の観点では、情報とエネルギーは不可分というか同じものなので、情報エネルギーが別物になっているという意味である。

要は「umagick」と「01110101…」は異なる情報エネルギーであるということだ。

さらにマインド技術研究所のバイナリコード化でわかるように、デジタルは情報密度を減らして、直線的に引き伸ばす技術であることがわかる。これがデジタルの本質であり、直線性と二極のエネルギーに支配されたテクノロジーであるということだ。

デジタルは少ない情報・変数をジックリ調べるのに向いている。つまりラボ向きであり、現実から乖離している。ゆえに看板・ハリボテ・レプリカなのである。

本来の単語「umagick」とは、圧縮された情報エネルギーの断片のようなもので、コード化された鍵として機能する。21世紀の魔術、普遍的な魔法、未知の魔術など、7重・8重の情報エネルギーを統合して圧縮したホログラムの種であり、受信者の辞書(個性・バイアス)に応じて異なる形で立体展開される術式だ。

これが「哲学者の卵」的なテクノロジーであり、ある意味「形の錬金術」であり、共鳴魔術であり、情報密度の高いモノゴトを遠隔でやりとりする方法でもある。その本質や情報構造をすべて破棄して、ハリボテとしての体裁だけを保っているのが、デジタル世界である。

概要だけで体験したと錯覚する

解決に飛びつき、即効性のある快楽を求めるデジタル世界では、錯覚が主流化している。

あなたがアナログレコード好きやオーディオマニアであれば、部屋で鳴っているレコードの音とMP3の違い、ホールで鳴っている生演奏の音とレコードの違いからも理解できると思う。

lemur47 · mercury song - hermetic dance

このサウンドアートの素材は、主に九州の山で録ってきた動植物の音、滝の音、音叉をマイク録音したデータでできている。その素材とデジタルな音源を混ぜ合わせて作曲したフィールドレコーディングである。

実際に山に入って音を感じているバイブス、リアルタイムでモニターしている音、帰宅してから聴く音源、完成したサウンドアートで内容はまったくの別物である。特にデジタル化された音源というのは、現実の音のハリボテであることは、聞けばすぐわかる。

これはWAV音源であっても同じ。バイブスという表現の背後に隠れている「あらゆる知覚情報」がすべて失われているからであり、その意味で録音物はすべてレプリカである。

そのレプリカがなぜ機能するかといえば、看板として機能し、トリガーとして発火し、視聴者の直接記憶や遺伝マインドのレポジトリに保存されたパターン(思考様式・行動規範)を引き出しているからだ。この高度なシステム構成のせいで、望ましくないチートができてしまう。

それが他者に寄生して必要な体験をスキップするというものだ。デジタル世界に依存しすぎるリスクという観点では、体験を伴わない「わかった気になる症候群」とも表現できる。

これは以前の考察ログで提起した「ビスマルクの格言を鵜呑みにする」という問題と同じであり、要は思弁に偏り、体験を厭う姿勢である。情報やデータだけをスキャンして、概要だけですべてを理解した気になる「地図を見て土地を体験しない問題」が錯覚文化へと接続している。

いいかえると「極端に単純化されたメンタルモデルを使い、省エネモードでモノゴトを判断する」状態であり、支配術式が効いているということだ。少しの数字と単純なチャートでビジネスを判断するのも同じだ。

本来であれば看板・トリガーとして起動した後に手放すべきプロセスを握りしめたまま居座ってしまっている状態であり、そのせいで(進化の文脈で)先に進めずエラーになっている。

同じ理由で、デジタル世界のソーシャルメディアや動画プラットフォームは魑魅魍魎の世界と化しており、それはニューエイジ思想やスピリチュアル産業がいうところの「低層四次元世界」のレプリカなのである。

どちらの世界も「システムの一部に居座っている」状態であり、他者に寄生して情報エネルギーを得ているところが問題となっている。これは寄生体だけの問題ではなく、システムの使いかたに問題がある。

このことから仮想宇宙に寄生する「幽界」の解体と、そこに居座る支配者気取りのマスターたちをどうにかするという、重大課題が今まで存在していたのだと考えられる。そもそも「天を持ち去った技術」に問題があり、仮想宇宙というシステムのゴールとルールに根本原因があったことはいうまでもない。

いまだにレプリカもその参照先も消えていないことから、システムの根本が解体されても術式を維持しようとする勢力と、その傀儡が多数存在していることが判る。これも術式経由で「体験」することで、ハッキリと理解されるのである。


デジタルと遠隔透視の共通項目

デジタルはバイナリ。よって脳にフォーカスしたテクノロジーといえる。二極のエネルギーに支配された判断先行型の世界である。遠隔透視で分析を避けるのと同じ方法を、デジタルにも多角的に適用すると良い。

最後の考察は、デジタル世界という看板・ハリボテを最適な方法で使うという錬金術である。錬金術とは卑金属を金に変えるのではなく、本質的に「鉛として使っていたマインドを純金として使う」技術である。

結論から書くと次の3つの活用方法が考えられる。

  • 看板を見たら、判断する前に体験し、それから結論を出す
  • 先に情報密度の高い世界で体験し、デジタルに結果を翻訳する
  • デジタルを情報密度の高い世界へのインターフェイスとする

要は使いかた次第で、ゴミを入れたらゴミが出てくるし、純金を入れたら純金が出てくるようになる。この戦略的活用方法を「遠隔透視とハートの活性化」という側面から掘り下げていく。

遠隔透視の手順はハート先行型

書籍「Real Magic: Ancient Wisdom, Modern Science, and a Guide to the Secret Power of the Universe」を読んでいて、興味深いことが判明した。リモートビューイング(遠隔透視)の手順とハートの使いかたがソックリなのだ。ここに遠隔透視の手順を要約・編集して記載する。

  1. 白紙を用意し、ターゲットを決める
  2. 受け取った情報を判断せずにスケッチする
  3. 感覚的な印象を記録する(動きや色など)
  4. 精神的角度を変えて観察する(名づけは禁止)
  5. ターゲットに係る感覚・感情を記録する
  6. 以降、データを統合して分析フェーズへ…

分析フェーズ以降が頭の出番であり、この6ステップ中5ステップは頭を使ってはいけない。ポイントは白紙から始めて印象をただ受け取ることであり、印象に「名づけ」をしないということなのである。

名づけをしないというのは、分析・判断しないということであり、入ってくるデータを分離させてはならないということでもある。断片的なデータを統合前に判断したりフィルターすると失敗するのだ。

抽象的すぎて解りにくいので、筆者が日常的に経験している遠隔透視と自然透視の2例で説明したい。

遠隔透視でハートを優先する事例

前提として、筆者はちゃんと遠隔透視ができるわけではない。ただ日常的に何かしら視えているので、どうやって視えているのか、どうすると視えないのかを説明できると思う。

  • ターゲットを決めると視えにくい
  • 単に瞑想していると風景が出てくる
  • リラックスして目を閉じると渦の回転を操作できる

ターゲットを決めると映像が出てこないのは判りやすいと思う。要はバイアスが先行してしまい、不要な力が入ってしまっているからだ。よって、筆者は後述の自然透視の時もテーマをサクッと放り投げるようにトリガーしたら忘れるようにしている。

慣れてくると、意識的にすばやく忘れる(手放す)ことができるようになる。技術的にいうと「Webhookのエンドポイントにリクエストを投げたら、後は非同期のレスポンスを待つ」というマインドの使いかたである。

筆者がよく見るのは動く風景だ。列車に乗っているとか宇宙船にでも乗って他の惑星上空を移動しているのではと思うような速度・角度で動いていることが多い。基本的に動きのある風景が見えるのだが、稀に角度を変えながら、あらゆる視点で風景を観察できることもある。

ただし、考え出すと消えてしまうので、視るだけで分析はしないようにしている。

渦の回転操作に関しては、けっこう頻繁に行っている。とはいえ、それが何かはまったく判っていない。それくらい分析せずにただ見て触っていることが多い。結界を空中に描くときと同じで、ハッキリと星雲のような渦が回転していて逆回転させることも可能だが、それが何の情報エネルギーで、何を操作しているのかを分析はしていないということだ。

注意点がひとつ。こちらからアクセスせずとも、他者から明確にターゲットされて遠隔透視されてしまう時もあり、人間や人間でない存在の目や顔が出てきたり、何か呪詛のようなものを吐きながら迫ってくる時もあったので、深入りすることは避けている。幽体離脱と同じで、リスクも考慮しておきたい。

自然透視でハートを優先する事例

こちらは意図的かつ日常的に使っている強力なツールである。自然透視とは、周辺環境を活用した遠隔情報をキャッチする手法である。遠隔とは直線時空における距離的な遠隔でもあるので、結果的に将来起こるであろうことを透視することも可能だ。

  • 雲のインターフェイスにリクエストする
  • 放置していると自然がナッジしてくる
  • ふと空を見ると、雲の形で返信が現れる

これはあくまで一例だが、要はクリスタル透視と同じことを自然に対して行っているだけである。筆者がクリスタル透視で見えるのは色くらいなので、こちらのほうが10年近く使っていて勝手が良い。ポイントは「判断を急がない、功を焦らない、自分のペースを押しつけない」ということ。

このポイントを意識できるようになってくると、頭でこねくり回すことが極端に減ってくる。結果、周辺環境が出力する多様な「シグナル・兆し」に気づけるようになり、判断先行型では気づくことすらできなかった多様な情報を受け取ることができるのである。

面白いのが、雲のインターフェイスに連絡して放置しておくと、鳥が通知してくれたり、虫が出てきて気を引いてくれたりする。それに気づいてふと空を見ると、何やら興味深い形の雲が目の前に浮かんでいたりするのである。この「ふと気づいて」というのが、ハート先行型で情報エネルギーをただ受け取る状態である。

具体的に今日の自然透視の場合、雲にリクエストして、しばらくしてムクドリが教えてくれて、視る方向を蜘蛛が指定してくれた。そういう嘘みたいなことが多発してくる。ある種のシンクロニシティである。タイミングがピッタリなのが特徴で、バイアス優勢になっているとそうはならない。

こういう情報密度の高い領域の気づきは、いきなりネット検索や統計データ確認から入るデスクトップ調査では絶対に得られない一次情報である。この一次情報を鍵に、現実世界で体験を伴う調査や検証を行うと、デジタル先行で実施してきた調査や仕事とはまったく質が変わってくる。

補足。逆遠隔透視され、ターゲットされて攻撃されるリスクを考えた時、自然透視で「自然を相手にする」方法が一番安全だという結論に至った。とはいえ、間接的に存在たちとコミュニケーションしていることも確かで、どちらにしても解釈には十分注意を払うべきである。もっとも、一番疑うべきは自分である。

デジタル最適化と戦略的再配置

デジタルは看板として使う。データベースの負荷分散でいう「読み出し専用のレプリカ」として位置づける。

これが定着すると、ビデオ会議やデジタルコンテンツの役割が変わってくる。今まで意識していなかったデータが、これから遠隔透視に役立つのである。

ビデオ会議やチャットで相手のバイブスを読み取ることができない人たちが多いようだ。海外の情報では、細かく手順やルールを記載して、どうしたらビデオ会議で相手の非言語情報を読み取ればいいか、小手先のテクニックが紹介されていたりする。

アタマではなくハートで先に感じてみれば、小手先のテクニックを羅列する必要などないはずだ。音や映像、文字情報は遠隔透視でいう初期の分析されない断片データである。それをトリガーやインターフェイスにして、直線時空を含めた遠隔情報を直接引き出せば良いだけなのだ。

デジタルをインターフェイスにするとき、それは一瞬で起こる。それが理由で今までそのメカニズムに気づけずにいたのだが、遠隔透視の手順を読んでメカニズムを理解できた。

常識や直感に反するため、理解に時間がかかるかもしれない。しかし、前述のようにマインドシステムとネットワークでつながっているので、我々はマインドを通して、もしくは意識を経由して、相手の情報エネルギーを遠隔から直接引き出しているのである。

それはデジタルをトリガーとしているが、そこから先は直接なのである。デジタルでターゲット情報(のコピー)が手元に来ているのだから、読み出し専用のレプリカから断片データだけ読み出し、あとはメインの読み書き可能なデータベースに直接接続すれば良い。

この場合レプリカがデジタル世界で、メインのデータベースが仮想宇宙、つまり現実世界である。

このようにデジタルな判断と頭でこねくり回すのを後にすると、扱える情報が圧倒的に増えてくる。そして、扱える情報が圧倒的に増えるということは、演算領域を拡大する必要があり、一度に処理する情報量を圧倒的に増やさねばならない。それを一般的に「意識拡大」という。

必然的に情報密度が高まっていき、人間装置とその可能性を再び活性化することになる。最初のうちは認知負荷に耐える必要があるが、慣れてくればいつの間にか世界が違って見えるはずだ。


結論・解決策

今回の論点は「デジタル技術によって損なわれている人間装置の機能と可能性」であり、世界を認識する能力そのものが低下・封印されていることを明らかにした。

考察の要点として、次の3点を掘り下げ、デジタル世界のリスクを列挙するだけでなく、有効活用する戦略的な考えかたと錬金術的アプローチを提示した。要は封印術式を能力開発に転じよう、という解決策である。

カンタンに解決策をまとめると「情報密度を高めつつ、あくまでシステムの一部としてデジタルを配置することで、能力を活性化させる」ということになる。少し超能力や超常現象的な考察もあったが、それは超常的なモノゴトではなく、マインド宇宙の側面にしか過ぎないことが理解されたはずである。

何でも分離・分析してしまう弊害が、能力の限界や世界の天井を定義してしまうことなのだ。

物質と精神はまったく別であるとか、マインドと物質の境界線はどこだとか、不可視の世界はまったく別の領域や次元にあるとか、そういう「思い込み」つまり「幻想」が能力を封じているのである。デジタル世界も同じであり、そのデザインコンセプトからして、それが術式の意図である。

ハートが良くて、マインドが悪いという二極のデジタル術式に支配された本やコンテンツを見かける。これはマインドが何かを理解していないために起こる現象で、ハートもマインドもテクノロジーとしてはマインド技術である。おそらく彼らが表現したいのは「ハートとアタマ」であろう。

日本ではすべてひっくるめて「心」である。心という漢字は回転するようにも見えるし、アメノミナカヌシを軸にタカミムスヒとカミムスヒを行き来する情報エネルギーとしても解釈できるし、情報密度をバイナリに落としていくプロセスとも解釈できる。

すべてひっくるめて心という。日本語を扱う種族がマインド時代の「ものづくり」で才能を発揮し、システム統合された「主語のない」魔術的な状態で、世界術式を発動させる可能性を感じるシンボルだ。

デジタル世界はレプリカ。それを忘れないようにしたい。あくまで模型であり概念装置であることを。