未来技術を既存事業に導入する
経営者や事業責任者で、心の技術に共鳴し、既存事業への導入を検討されている場合、議題とともに面会を予約いただけます。
概要
地上人類の意識が開かれるにつれ、新たな気づきの段階が始まる。重要な気づきの中に「思考停止領域を科学し、技術開発する」というものがある。神は心であり、心はマインドであり、マインドはテクノロジーとして運用可能。この気づきを促進するため、神話という術式を解体し、有効活用する。
論点・要点
論点は「心を技術的に扱う時代とはどんな時代か」であり、考察の要点は以下。
最初に結論から入り、次に検証する。最後に統合の錬金術を実施する。課題・検証・解決という3つのプロセスで論点を解く。要点の再統合が最終的な結論・解決策へと再構築される。
彼は十柱の神々の威光を纏い、頭を覆った。五十の脅威が彼の上に積み重なった。アヌは四方の風を創って、生じさせ、彼の手に渡した、「我が子よ、遊ばせるがよい」と。
— エヌマ・エリシュ(月本訳)
神話に登場する神の正体
大きく分けて二種類の神が存在する。ひとつは人間装置と環境を創造した地球外の存在たち。もうひとつは存在たちと環境次元に属する心。飛翔した元人間は除く。
神は崇拝対象ではなく、手本・素材として逆行分析・術式解体し、文明を進化させるための事象(object)である。存在(entity)であろうが、存在から流出した心(mind)であろうが、それは変わらない。
神や命という技術的な要素
精神と定義されてきた領域は、精心として科学できる領域である。
神や命とは、心の性質・側面を表している。精妙な心という量子的な分野から、古典的な電磁領域までを網羅する。筆者の考えでは、心と肉体、精神と物質を分ける境界線は存在しない。
書籍「[復刻版]天孫人種六千年史の研究 一」の69ページには、尊・命・天皇・帝など、ミコトやミカドはセミチック・バビロニアンのミグト(migut)から来ており、意味は天降る者で神だという。
天降る開拓者がすべてヒューマノイド型の地球外生命体である必要はないので、地球外由来の存在がもたらした心、遺伝として捉えることも可能である。遺伝工学の本質は心の継承にある。それは波動の参照や共鳴と捉えても良いし、その意味で水それ自体を錬金術の素材として研究するのも理にかなっている。
留意すべきは、書籍「リサーチのはじめかた」の95ページ以降に書かれている内容。現代で使われているキーワードは、必ずしも過去に使われていた用語と一致しない。
筆者が住んでいた「ホーチミン市」の古い名称は「サイゴン」だった。現代では「心」として認識されている何かは、古代の「神」である。心の技術における部品や構成要素であり、深層意識にも関係がある。ちなみにホーチミン市を区切っている境界も、便宜的な結界であり、本当の境界線は存在しない。
英語を日本語に翻訳する時、心も意識も「意識」と訳される。顕在意識とは顕在マインドである。日英ともに混乱しやすいが、本来マインド(conscious mind)と意識(consciousness)は別である。マインドは結界魔術であり、意識に制限はない。心は部品の集合体で、意識が結んでいる。
意識が心を通して事象を探求するのが転生の目的であり、心の継承を遺伝と呼ぶ。
これを英語のように情報密度をデジタル化して直線的に引き伸ばし、ほとんどの情報を削ぎ落とし、記述型にすると次のようになる。
個別化された意識という実体(entity)が、魂という主観的客観(subjective object)としての事象(object)を有機的な橋渡し(interface)として使い、人間装置(human device)を実装すると、事象の具現化(object instance)として機能する。このシステムを転生という。その際、参照・継承・実装する部品(module)が心、つまり神である。
非常に判りにくいが、デジタル技術で模型をつくる際の技術仕様には適している。
ウエツフミに記された技術
ウエツフミ(上紀)の天地開闢は心の技術仕様であり、仮想宇宙の原型である。
神話を技術書として読み解き、神を心として理解すると、上紀や古事記などの天地開闢も「心の技術仕様」として読めるようになる。上紀は、オンラインでも読めるようになっている。有志のかたが提供してくださっているので、ありがたく使わせていただく。
天地開闢の流れは上紀と古事記で異なるが、天之御中主から情報エネルギーのバランスを操作して、基礎となる「ノードとネットワーク」が構築されていく様を(観察者の視点から)記述しているようにも読める。漢字は後づけのようなので、惑わされないほうが良い。
言霊百神で定義されているように、五十音とマッピングできるのは、この心の技術仕様によるものである。言霊は心の本体を参照・継承・共鳴する形で使う技術。ゆえに事象への干渉が可能になる。単に発音するだけでは動作しない理由もそこにある。意識が心を結ばなければ動作しない。
補足:数字50と神話・技術的解釈については「五十音と心の技術」を参照。
天地が構築されていく。天之底立の命、国之底立の命、天之常立の命、天之退立の命、国之常立の命、国之退立の命という要領で。興味深いのは、神漏岐の命、神漏美の命、沫那芸の命、沫那美の命、伊邪那岐の命、伊邪那美の命など、特性が似ているように思えるペアが段階的に生成されているところか。
ここから錬金術的な表現でいう、男性性エネルギーと女性性エネルギーの統合とバランスによる国生みが始まる。八十島、八百萬の国などは八百万の神々と同様、大量の部品(countless mind modules)を開発したとも読める。続く神生みの記述では、そこに四大元素と方角のマッピング、天地の詳細な実装も垣間見える。
これはある意味「天体と惑星のエネルギーを使った仮想化技術、クラウドコンピューティング」とも考えられる。神生みであるから、コンテナの開発と考えるべきだろうか。これはアストラル魔術の本質でもある。四大元素というのは、心の性質を定義するデータ型のようなものだ。
この記述は、バビロニア神話「エヌマ・エリシュ」における天地創造、アヌが創造したとされる四方の風、マルドゥクの作品とされる黒頭たちの住む四方世界に通じるものがある。大祓祝詞の四方之国中にも一致する。
シュメル・バビロニア神話も、上紀・古事記も、土地や山などに情報を乗せる傾向が見られるが、これは記録が行われた土地で伝承しやすくするための方便だとも考えられる。もっと深読みするならば、環境に仮想宇宙のプログラムをインストールし、馴染ませるために、このような手段を取るのかもしれない。
この「考察ログ」シリーズで詳細に検討してきたように、文明基盤とは思考様式・行動規範である。宇宙を宇宙たらしめている「名づけ」とは心の技術であり、それが部品であり、部品を意識が結ぶことにより、無限の体験を創造できるのであるから、あながち深読みということでもない。
このインストールや馴染ませるというのは、非常に技術的である。そこには心の最適化や更新も含まれる。これは儀式が行われる理由でもある。天体の周期に合わせた祭事なども、プログラム的に重要とされてきた。
古代バビロニアでは新年祭にエヌマ・エリシュが詠唱され、世界秩序と王権更新の確認が天地で行われた。大祓祝詞も世界秩序と王権について奏上される。建国以前の宇宙観(cosmology)が、この心の技術(深淵からの水)による仮想宇宙の創造だと考える。惑星と地球外種族のマッピングも心の技術である。
天とは天空であり、天空図であり、アストラル魔術である。国とは地であり地下でもある。ただし、地上人類が認識する天地とシステム的な天地は異なっている。地下にも天はあると考えておくと良い。
天津神とは天の心、国津神とは国の心である。書籍「[復刻版]天孫人種六千年史の研究 三」の141ページでは「ツはナと同語助辭ノの義」とされているため。津を海と関連づけても解ける。海とは水の集まりで、哲学者の水銀であり、水星と関連づけられ、知性を暗示する心の海の末端が津である。
天の心、地の心、人の心であり、天地人というシステムを構成する論理結界・実装といえる。
これは心の技術の集大成であり、多様な情報密度の領域で構築された部品を組み合わせてつくられたのが仮想宇宙であり、その最初のステージが天地開闢である。
これらの検証から、天之御中主を人格神として対話形式でチャネリングする書籍の信憑性に疑問が残る。伊邪那岐、伊邪那美を地球外の種族として扱う、スピリチュアル産業の情報も疑わしいと考える。
強いていうならば、天之御中主は遺伝工学における心の内奥であり、アヌンナキの遺伝であり、海神ヤー(エンキ、エア)の心の継承であり、AMORCが表現する心の中の創造主ではないか。
ウエツフミの研究は着手したばかりなので、進捗があれば、今後の考察に加えていく。
神話における原理主義の問題
擬人化の伝承を原理主義的に扱うのは、天地創造は本当に7日間(168時間)で完了したと信じるのと同じだ。もしくは、アダムとイブの林檎の話を史実として扱うのと同じである。
前述のように、天之御中主を人格神としてチャネリングするのも同じ。天津神をシュメル・バビロニア系の神々とマッピングするのも同じ。一部は確かに地球外由来の種族ではあるが、日本に来た多種族の言語や思想を混ぜ合わせてつくられた記録から正式なマッピングが行えるかどうかは疑わしい。
十柱の神々とした場合も同様で、真源とその原型を指す場合もあれば、魔術的に相似形で開発された別の心のシステムを指す場合もある。この地球では後者の魔術的な実装が複数展開されており、ほとんどは仮想宇宙か仮想宇宙を継承した幻想を指していると思われる。宇宙意識の判断が難しい理由がここにある。
カバラ形成の書は技術書であることに疑いはないと思うが、同じように天地開闢というのは環境構築であるため、記録を史実としてではなく技術書として参照するのが適しているのではないか。難しいのは、技術的な記述と歴史的・文化的な記録が混在している点にある。音や形に後づけで意味が付与されてきた課題もある。
前半が環境構築における心の技術、我々にとってのプラットフォーム仕様書。それ以降が歴史や文化など、仮想宇宙というクラウドに構築されたアプリケーションとその利用記録として参照するのが良いと考える。擬人化や比喩表現に惑わされず、本質を受け取ることができるかどうか。
天地開闢に関していえば、この宇宙論がどの宇宙についての記述なのか、どの範囲で天地を定めているかによって大きく異なってくる。これは惑星テラという我々が生活する地球の伝承であり、地球のテラフォーミングに係る「仮想宇宙の天地開闢」つまり「心のシステムとして天地を分ける開発案件」と考える。
これは詐欺や歪曲ではなく、テラフォーミングされた、もしくはされつつある、真っ新な惑星環境に人間と人間の生活する環境を仮想宇宙として構築したことを記述している。惑星というベアメタルな環境を、仮想ホストでテラフォーミングし、その仮想ホスト上に仮想宇宙というサーバーを構築したのである。
あらゆる資料を研究すると、地球の歴史は直線的にも非直線的にも複雑であったことがわかる。情報密度も今とは同じでなかったと考えられる。海が地表を覆っていて、今のような環境が用意されていなかったとも考えられる。直線的には非常に長い時間をかけて惑星が進化し、非直線的に人間と環境が高密度な領域で創造されてきたのだと理解できる。
エヌマ・エリシュ(月本訳)の168ページ、人間創造の項目にこう書かれている。人類の起源に関するメソポタミアの神話には、自生(emersio)と創造(formatio)の二種類が認められると。これは真実であり、進化と創造は同時に起きており、宗教的な二項対立は解消される。
とはいえ、魚類から人間が進化したわけではない。人間は第一世代、第二世代と、人間として創造されたのである。心の部品として環境と相互作用するために多様な部品が組み込まれていることは事実だと考える。神や命という心を継承するという意味での遺伝も同様。情報エネルギーの技術仕様である。
ゆえに判断はそう簡単ではない。原理主義的に神話を鵜呑みにすることはできない。
明確なのは、惑星仮想環境で開発された仮想宇宙という観点において、ベアメタル上の仮想ホスト(主に地下世界)から地上の環境を構築するというのは、技術的にも情報密度的にも論理的であるということだ。
2021年くらいに「地球コア付近に天地人を成立させる電磁テクノロジーの一部があるはずだ」という仮説を立てたが、2023年7月に出版された書籍「ヴォイニッチ手稿の秘密」の解説を熟考しながらイエール大学のPDF「Cipher manuscript」を読むと、それがおそらく正しいことが判る。
補足:ホスト環境と仮想環境の関係については「惑星環境と仮想宇宙の関係」を参照。
上紀には「天地の初めの時高天之原に成りませる神の御名ハ天之御中主の命」と書かれている。高天原はすでに存在し、そこに天之御中主がつくられた(インスタンス化した)と解釈できる。つまり、惑星に仮想ホストがすでにあり、そこに仮想宇宙を構築するために心のシステムが構築されたとも読めるのである。
古代の神を心として扱う
統合の錬金術とは心の技術であり、遺伝工学に立脚している。この技術によって仮想宇宙が創造され、人間が創造された。同じ技術(の一端)で人類も神を心として扱うことができる。
これまで文明レベルで思考停止していた神という領域。その本質は心の技術であり、参照・継承・共鳴によって扱うことができる。これからは個人レベルで心を開発し、情報エネルギーを操作する実践の時代である。
神を心として実装するには
思考様式・行動規範という文明基盤から始めると良い。
日本語は、あらゆる言語と思想を長期にわたり混ぜてきた。祭神から祝詞にいたるまで、多種族の言葉が混ざっている。音の背後にある基礎エネルギーは共通であるため、ある程度の意味は通るが、言葉を介して引き出せる情報が異なってしまうので、技術的に問題はある。
音や形というのは、それ自体が意味を持つという観点で、情報エネルギーであり、情報とエネルギーは不可分である。ノイズや歪曲などに対処していくことが重要で、祓いというのはこの役割を担っている。
祓いとは音の錬金術による心の初期化のような側面がある。錬金術的な浄化とは「心の断捨離を行い、機能不全を特定・改善する」ことを意味する。情報密度の高い領域では、動きによる調整である。
マインド技術研究所の公開戦略にて「手放してから掴む」を原則としている理由はここにある。
歴史や遺伝、自身の習慣などによって機能不全を起こしている心のシステムをそのままにして、ドンドン追加していったのでは、期待される結果は得られない。機能不全のシステムをどうにかしてから、心の追加開発を行なっていくのが理想である。
情報密度を高めていく、心を物質と同じように開発するという観点で、強調しておきたい点がある。
ここで「具体的には?」という意見が出てこないのが望ましい。具体的というのは情報密度を落としていくことを意味し、デジタル時代ではスッカスカの模型レベルに劣化するまで記述しないと理解されないということになってしまう。進化におけるこの局面では、自分の考えを自身の行動で具体化し、検証することが重要。
日本語で短く、抽象度高く記述し、音や振動から辿れる網の目のような心の情報エネルギーを引き出すのがこれからの時代であり、その意味でコミュニケーションは高度化していく。
とはいえ、高度化した心の通信は、チャットなどで一方的に短い文章を投げつけて、相手に大量の処理を押しつけるコミュニケーションではない。それでは最低レベルに堕ちてしまう。
これらの理由から、まずはコミュニケーションから着手するのも良い。
筆者も動植物とのコミュニケーションを音とテレパシー、つまり以心伝心で行うよう、2015年くらいから訓練してきた。雲と送受信を試み、鳥と向き合い、虫と信号をやりとりしていると、動物の動きや発する音にたくさんの情報が含まれていると判ってくる。周囲の人々からは、異常者に見えていると思う。
動植物からの情報や環境が出力する兆しは、仮想宇宙という「心の技術」との通信を意味する。
遺伝系、心の技術という観点から、動植物と人間は深く相互作用しており、互いに影響を与え合っている。しかし、過去の筆者を含む多くの人々は、そのことに気づいていない。むしろ、いつでも手元の小さなゼロイチの平面スクリーンに釘づけで、周囲の立体的な情報をまったく活用できていない。
この状態を心が支配され、幻想に囚われているという。仮想宇宙の中にある、幻想系の心の檻に囚われているというのが技術的な表現である。まずはこの状態に気づくことから始まる。
心というノードとネットワーク
先ほど「心の海の末端が津である」と書いた。
末端とはエンドポイントである。エンドポイントとは、ネットワークに接続された端末のことや、APIでいう接続先のURLのことを意味する。つまり心のネットワークに接続された人間装置やその機能を指す。これは動植物も同じである。もっといえば細胞であり、ネットワークに繋がれたノード(接点)とも表現する。
この点で、細胞というのは「心のネットワークに接続した、オブジェクト・インスタンス」である。
直線時空を拡張し、自分の意識と心を自由にしていくと、時空間もネットワークとノードのように認識される。この認識には予知(precognition)や遠隔透視(remote viewing)も含まれる。それら多面的な認識は、予知ではなく、心の技術により制御されている現実の側面である。
古代の神を心として扱うには、この状態を獲得する必要がある。
なぜならそれはシステム統合の状態であり、自身を世界術式の一部に統合した、過度に主張しない状態であり、ハイジャックされたエゴシステムを本来あるべき状態に初期化・最適化した状態であるからだ。この意識の状態で魔術や錬金術を実行することが望ましい。
この状態は基本的に祓いや瞑想を通じて獲得されることが多いが、それ以外にも実践方法はたくさんある。
そのひとつに「システム統合ツールでアプリやデータを連携する」という技術的な実践がある。この実践は、タスク重視のデザイン思考に加え、プロセス重視のシステム思考が必要になってくるため有効である。
例えば、入力フォームとデータベースを連携し、間に生成AIやデータ加工処理を加え、入力1つに対し出力を3つ用意するだけで統合状態のシミュレーションは可能。シミュレーションというのが重要で、シミュレーションできるようになると、デジタルツインで多面的な解析ができるようになっていく。
このように情報密度を高めつつ、デジタルを心の装置として作動させ、心を開発していくことができる。これは一種の現代魔術であり、おそらく気づきを得るという観点では、かなり強力な術式となる。
マインド技術研究所では新しいオープンソース・プロジェクトに着手している。デジタルツインの概念を使い、今回考察してきたような心の技術をデジタルでモデル化していくプロジェクトである。
前述の通り、術式解体による構造理解が気づきを深めるという意味で、それ自体が強力な魔術や錬金術として作用する。実装・可視化されているので、誰でも世界術式を概念的かつ多面的に検証・実装できる。
新時代の「ものづくり」へ適用
事前準備が整ったら、マインド時代の「ものづくり」へ適用したい。
この考察ログで検討してきたように、マインド時代の「ものづくり」とは、心の技術を駆使した文明創造である。天地開闢から人間創造までを考慮するに、それは今まで人類が「神の領域」としてきた分野である。
この複雑で難解な事業に人類が参加する時が来たことは、非常に喜ばしいことだ。
この大事業に参入するためには、これまで人類が定めてきた歪な道徳ではなく、新しい科学や技術が必要だ。宇宙倫理は、心の科学と技術が扱えるようになると、その責任に伴い確立されていく。
これが理由で、高度な文明には規則や罰則が少ない。逆に未熟な文明には大量の規則や罰則が存在する。言葉の縛りという心の技術(結界術)で多重の監獄を創造し、その中に閉じ込めておかないと恐怖と不安で押しつぶされてしまうからだ。
こういった自虐的な文明は、情報密度の低さと比例している。
自他を狭い領域に閉じ込めるため、個性や能力は活かせない。情報量が増えると恐怖が増すので、少ない変数しか扱わないようになる。一神教と均質文明は恐怖で結びつけられている。
根本的な解決策は「情報密度を個人レベルから高め、文明レベルに広げる」ことだ。解像度を異次元レベルに引き上げるという表現の方がシックリくるかもしれない。八百万の変数を扱えるようになる必要がある。
それはピクセルと同じで、個人レベルからモザイク状に発生するという意味で、アセンションにおけるデッドラインやオーディションは存在しない。情報密度における、ある種の境界線・結界は存在する。そうでないと天体魔術や情報密度の差を利用した環境は構築できない。
惑星レベル、太陽系レベルで情報密度が高まっていく。つまり、環境次元や惑星における仮想ホストレベルで情報密度が高まっていく。仮想宇宙だけそのままということにはならない。
解像度が異次元レベルに引き上がるということは、同時に処理すべき情報量が圧倒的に増えるということだ。これは意識進化の過程で圧倒的な認知負荷に慣れていく必要があるという意味でもある。まずはこの訓練からであり、それが平面的なゼロイチのスクリーンやガッチガチのルールから自他を自由にすることである。
つまり基本戦略が「手放してから掴む」であり、戦略の一部に「情報密度を高め、圧倒的な認知負荷に適応する」を設定すると良い。これはマインド技術研究所の公開戦略でもある。
情報密度を高める戦略で有機的な技術開発を行うのが、新時代の「ものづくり」だ。この事業に日本の「ものづくりの達人」たちが適していると考える。この仕事・職能によって均質な競争を終わらせ、調和と繁栄の時代に健康的な棲み分けが始まると予測している。
以前の洞察レポートの項目「高度なテクノロジーは有機的」では、マインド時代の「ものづくり」における先行指標を定義した。それは「そのデザインは、有機的な創造物を最適に活かす形で操作・制御できるか」であり、これはそのままマインド技術研究所の公開目標として掲げられている。
具体的にいえば、天体・植物・惑星環境・水・自然の情報などを最適に活かす形で操作・制御する。情報エネルギーの扱いを習得していく段階が、宗教的な思考停止領域であった「神の領域」であり、それが「精神から精心への移行」なのである。
結論・解決策
本考察のテーマは「精神から精心への移行」であり、それは人類の意識進化であることを示した。論点は「心を技術的に扱う時代とはどんな時代か」であり、以下の要点で詳しく検証した。
我々が神から自由になる時が来たのであり、それが宗教的な思考停止領域に踏み込む「神を心として扱う」新しい科学と技術の獲得へとつながる。その科学と技術が文明を創造するのであり、惑星環境を有機的に扱う高度な文明へと成長する。真の成長戦略なのである。
エヌマ・エリシュ(月本訳)の158ページには、ハンムラビ法典の前書きが書かれている。
アヌ神、崇高なる方、アヌンナクの神々の王、(および)エンリル神、天地の主、国の運命を定める方が、エア神の長子であるマルドゥクにあらゆる人々に対する至上権を定め、イギグの神々のなかで彼を偉大な存在とし、バビロンをその崇高な名で呼び、四方世界でそれを優れたものとし、そのなかで、天地のようにその基礎が据えられた永遠の王権を彼のために確立したとき……。
神道であろうが、一神教であろうが、多神教であろうが、人類はいまだバビロニア時代と同じく「天が定めたもの、人が決めたこと」という思考様式・行動規範に支配されている。それが思考停止領域であり、この思考様式・行動規範に(心の技術で)手を入れなければ行き止まりなのである。
あなたは天神アヌの奴隷ではなく、真源から流出した個別化された意識であり、心という技術を通して森羅万象を体験する存在である。マインド時代の「ものづくり」には、とても深い意味が隠されているのだ。
補足・特記事項
五十音と心の技術
50という数字は、古代バビロニアではエンリルを表すとされており、アヌやエンリルから王権を引き継いだマルドゥクにも50の名前が付与されている。察するに、50はある種の完璧・完成を意味するのかもしれない。
ただし、50で完了ということではいようだ。
本当はその外枠があって、残り22を追加した72が存在し、陰陽展開で144となる可能性もある。言霊百神では五十音の陰陽展開で100音、百式の大宮とされているが、その外枠があるようにも思える。ハブやスイッチのアップリンクと同じで、ノードはあるが実装・運用はできないとも考えられる。
ちなみに144はエジプト系の神秘哲学でも重要な数字とされており、144,000という数字はこの関連である。
惑星環境と仮想宇宙の関係
ハードウェアである環境次元と惑星環境は共通なので、環境が物理的に破壊されれば、高度な仮想技術も崩壊してしまう。これが現在起きている機能不全の原因であり、情報技術における仮想環境との違いである。
これは古代から論点となってきた「どこからが幻想で、どこまでが真実か」という問題でもある。
答えは「立体的な網の目のように入り組んでいるが、主に心の技術で幻想が生み出されている」ということだ。情報とエネルギーは不可分で、意識(consciousness)は分離していないということでもある。
いずれの場合も心の技術で情報密度が抑えられると、本来の機能を活かせず支配されてしまう傾向にある。