概要
香りという不可視の知覚情報。それは情報密度や振動帯域に関係がある。その仕様と心の技術を使うことで、自己実現に係る錬金作業を促進する。そのことが実験の結果解ってきた。
香りに関する伝承とその解釈
香りには歴史がある。それは儀式や宗教とも密接な関係がある。そして、おそらく技術的な手段による目的達成のために用いられてきた可能性が高い。
先日、実験の一環で購入した線香に、興味深い言葉が同封されていた。
古来より、【小福の者は悪香を食し、多福の者は妙香を食す】といわれるように、上質の香りよいお香・お線香は、信心を深め、より多くのご利益をもたらすとされています。
寺院で献げるお香・お線香には、その周辺を聖域として、汚れや悪霊から仏の身を守り、その香気によって仏法を広める役割もあるそうです。
筆者は宗教家ではなく、錬金術師である。ここでは死者との関わりかたや死後の世界について云々することはない。あくまで、技術的な理解を求める。特に、自己実現や浄化の観点から、技術的な考察を行いたい。
心に留めておきたいのは「ご利益」という考えかたである。おそらく本来的な意味から大きく逸脱し、我慾が肥大化し、ご利益信仰が蔓延るようになってしまったのだと思う。執着を手放すはずの教義で使われていた素材が、買い占めや乱獲により価格が高騰するといった状況は、本当に皮肉なものである。
そのことから、願望実現ではなく、自己実現を取り上げることにより、本来的な「己を知り、真実を知り、先に進む」という願望実現の研究としている。浄化は錬金術の基本なので、いうまでもない。
また、線香による実験などと書くと、ある宇宙理論を信奉する者たちから、古い時代のものは新しい時代には逆転するという、二極モノサシによる判断が行われるだろうが、まったく関係ない。
実際、2,500年とか5,000年という短期ではなく、数万年単位の昔に香の文化がなかったとは考えにくい。仮にアトランティス文明やシュメル文明が相当の昔に存在していたとして、もちろんそこには所謂ウバイド人も含まれるが、交易や行事でお香が使われなかったとするのは難しいだろう。
古代エジプトの伝統を継承する(と主張する)団体のひとつに筆者も所属していた時期があった。そこでは非売品のバラのお香を入手できた。守秘義務があるので、教義について明らかにすることはできないが、いくつかの場面でお香が焚かれ、ある種の魔術的役割を果たしていた。
これは前述の通り寺院も同じである。いくつかの文献を調べると、真偽のほどはともかく、アトランティス時代にも寺院なるものが存在していたとされる。おそらく、浄化というのは古代から行われてきたはずだ。
台北に居た時も、寺院は線香の煙で囲まれていた。まるで「魔法科高校の劣等生」に出てくる九重寺が、香による結界術を発動していたかのようであった。煙、香り、物体、そして意志で解放系の結界を構築できる。
10年くらい前の新宿駅周辺の喫煙所も、ある意味で煙と香による結界術として機能していたと思う。非喫煙者や嫌煙者はそこに立ち入ることは困難で、入り込んでしまったら方向感覚すら鈍っていたはずだ。
香りといえば、過去に何度も遭遇した不可視の存在たちは、花のようなお香のような、もしくはお菓子のような、しかし線香のそれとは異なる、少し甘い上品な香りをしていたものである。逆に鉄と排水溝の匂いが合わさったような気配を感じることもあった。もしくは鼻をつく化学香料のような気配も存在した。
香りというのは、雰囲気であり、雰囲気というのは情報エネルギーとその振動であり、その質と密度によってあらゆるモノゴトが存在し、解釈され、動作している。そこには未知の技術があるとみて良いはずだ。
錬金作業における香りと浄化
仰々しいことを沢山書いたが、実験の発端は実に単純であった。
やっと見つけた案内人「Julia the sherpa」の書籍「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」にある課題の一環で、お香を買ってみたというのが出発点である。しかも、魔道祖師というラノベ・アニメに出てくる含光君が白檀の香りをさせているというインスピレーションから、白檀香をいくつか試しているのだ(笑)
お香を本格的に買ってみようと思った理由は「浄化」である。正確には「生前自己供養と周辺環境の連動供養」である。つまりこの文脈では「浄化 = 供養」の意味が込められている。
浄化の実験を先に進めようと思った理由は、周辺環境の唐突な治安悪化、悪香に練り込まれた強烈な邪気が絶え間なく漂うようになったためである。部屋をきれいにしたり、玄関付近の共用部分を掃除したり、火打ちしたり、音を使った浄化は日常的に行っているが、そんな程度ではまったく効果がなかった。
本当に道士のように白衣を纏い、御剣飛行でもしながら仙術を使ったり、琴で鬼を大人しくさせたかった。
このような気は、多くの場合人に憑いてやってくる。一部、動物などに憑いてやってきたり、大気を漂っていたりするものだが、当該人物の生活習慣や雰囲気と和合すると、そこに動作環境が構築されてしまう。
筆者も昔、自己破壊的な生きかたをしていた。その時には心の中に3人くらい居たのを記憶している。それは大変苦痛な状況であり、もちろん周囲にも悪影響が出るわけだが、やはり他や環境を浄化するという考えではダメなのだ。己の醸し出すものを変えることと、周辺環境を一致させていくことで浄化される。
神社や寺院、パワースポットを訪問すれば運気が上がるとか、ヒーラーに治療して貰えばいいとか、そういうことではないのだ。その場合、当該人物の我慾があらゆる環境を穢していく。錬金術師もヨギも、他者に対する霊能事業ではなく「己を準備する」自己実現に特化するのはそこが理由だ。
香りに係るしくみと心の技術
気になるのは、香りが浄化を促進させ、結界術の一部として機能し、自己実現に寄与する理由である。いわゆる「しくみ(how it works)」を知りたくなる。
- 霊・幽・肉には距離も境界もない(仕様)
- 気化は伝統的に霊的な設定を持つ(術式)
- 術式の行使は、自己の拡張術である(行動)
現段階での理解と仮説はこのようになっている。基本的な技術仕様があり、仕様に沿った術式があり、術式の発動条件を満たすための行動がある。これは情報技術でいうAPI仕様に沿ったアプリ開発を行い、そのアプリを使い始めることとまったく同じだ。
- 自身、他人、環境を沈静化させる
- 自身および環境の一部が振動的に変化する
- 振動変化により、主要な活動帯域が変化する
条件を満たした術式が発動すると、多密度世界における帯域の移動、座標の変化、集積・増幅の拠点が変化するという感じである。ゆえに環境が沈静化したように感じ(実際そうなのかもしれないが)共振・共鳴しないヒト・モノ・コトとは疎遠になっていく。媒介なしで対峙することが自然と減っていく。
そうなってくると、同じ領域に存在しているのに、帯域が違うため、出会うことがなくなる。実験の影響か、現在の筆者の環境は、ほとんど人がいない(見えない)静かな世界になった。車は通りを行き交い、サイレンは鳴り響き、人はたまに歩いているが、認識するモノゴトが希薄になったように感じる。
情報技術的にいうと、システム移管やサーバー移管のイメージが一番近い。同じデータセンターの隣接するラックにサーバーが移動したり、i386系だったアプリとミドルがx86_64系になった状況と似ている。
神秘的に考えすぎたり、高次元存在に憧れという名の隷属を誓ったり、情報の非対称性によって我慾を肥大化させようとするから混乱し、複雑化するのだ。
神示と呼ばれるチャネリング情報が、特定の種族や民族を指定して流れてくる(ように思える)理由も、別に選民思想や優生学とは関係ないはずだ。この時代の多くを占める、意識や魂の族に対しての施策であったり、遺伝系と関係があるのではないか。
つまり「人間放送局として、多くに共振・共鳴する、種族的な特性を備えた人間装置とその運用者に情報を流している」のである。わかりやすくいうと、顕在・潜在意識の通信網を通して広範囲に伝わるように仕組まれているだけなのだ。
私たちはもっとモノゴトを多密度的かつ技術的に理解する必要がある。
2016年、九州と本州の一部を周り、各地方で神社や奥之院を訪問する機会があった。奥之院というのは、筆者にとって幽界接点のように感じることが多かった。物理的な建造物も祭神も可視的だが、それは術式の一部だからである。可視の置物を起点に動作する不可視の術式を感じるわけである。
心の技術とは「そこに存在するだけで何らかの影響力を持ち、それを意図的に配置する」ことである。
なんというか、日本の神社系と寺院系は、魔術・呪術における巨大術式の一部のような感じがする。不可視の帯域、それは遠いわけでも分離しているわけでもないので、同じ要領で稼働している。どう考えても、可視の建造物は装置にしか見えないのだ。データーセンターで稼働する、大量のサーバーと同じだ。
言霊が機能するのだって、その系に立脚しているから作用しやすいのではないか。筆者も国内外で言霊実験を何度も実施してきたが、言霊を発したり、書いたり、発信したりするだけではなく、動作環境が重要なのだと理解した時がある。それはクラウド環境で動作するアプリに似ている。
これを心の技術で解くと、遺伝系と幻想系(そして天地の天界系)に大きく依存した技術であることがわかる。つまり、多くが信じてきた霊界や神界は幻想系に関係があり、幽界に関係があった可能性が高い。信じてきた、使ってきたのに動作しなくなった技法があるとすれば、それが原因だと考える。
このようなモノゴトが多々存在するので、マインド技研では文明刷新を「壮大なゲシュタルト崩壊」と呼んでいるのである。
一見、香りとは何の関係もないように思う、この「しくみと技術」こそ、隠れた術式とその動作環境なのだ。それらを理解し、伝統を技術として再解釈し、不要な物事を焼却・断捨離し、これからの文明に応用していくことができる。本質的に「ものづくり」とはそういうものではないか。
多福をもたらす貴社の新事業
小福の者は悪香を食し、多福の者は妙香を食す。
この言葉は、本来的な言葉、失われた言葉について述べている。悪香を食す、つまり悪食は、混沌や無秩序と関係がある。もしくは、過度で極端なものを好む。一方、妙香を食す、つまり微細で精妙なモノゴトを扱う者は、秩序という言葉(理)および、それを術式として発動させる動き(意志)を持っている。
注記:多くが感じる混沌は、多密度的な秩序である。このことは要点である。
香りとは不可視のモノゴトとその知覚であるから、情報エネルギーや精妙な電磁帯域のことを暗示している。失われた言葉とは、秩序そのものと秩序をつくり出す(精妙な)動きである。マインド技研が「失われた言葉とは動きである」とする理由もここにある。
精妙な領域から「ものづくり」ができる人々は、自身と他に多福をもたらす。
貴社の「ものづくり」が近い将来、成すことでもある。妙香を食し、精妙な香りを聞き、それを組み上げ、情報密度を整えることで具現化させる。その理念・技術・装置が公益をもたらし、多福をもたらすのである。