概要
あなたが実装している人間装置の性能と健康を取り戻すための参考情報。才能や健康の本質を見つめ直す考察。
注記:筆者の実験と経験に立脚した考察です。医療的な診断やアドバイスではありません。ご自身の生活に適用される場合、ご自身の判断と責任で行なってください。
論点・要点
論点は「人間装置の性能を引き出すには」であり、考察の要点は以下。
今回の考察ログから音声に比重を置き、文章量を減らす。この試みは、情報密度の高まりに意識や心を調和させ、古い概念で新しいものを判断しないための施策。
こだわりを捨て、逆にこだわる
まず「取り戻すには」という表現を正しく理解したい。昔は良かったという懐古主義ではなく、直線時空の概念を超えて理解する必要がある。遺伝的なテンプレートや人間装置の設計思想という意味である。
実験の結果解ったこと
2016年から2024年現在までの約8.5年の間に実施してきた実験と試行錯誤の結果、解ったことがある。
人間装置は適切に管理すれば健康を維持できる
約8.5年の間、病気になって寝込んだのは2021年5月の1回だけであった。コロナが蔓延していた時に発熱で寝込んだ1回のみ。海外転居していたので、健康保険に加入していない時期もあるが、保険を適用したのは歯科医のみ。基本的に3ヶ月に1回のメンテナンスである。
この間にたくさんの実験や投資を行ったが、継続している習慣は以下のみ。
- 充分な睡眠時間
- 運動(HIIT、ヨガ)
- 瞑想もしくは気功・練丹術
- 菜食、16-18時間の断食
2015年から徐々にそして自然に菜食に移行し、アルコールを摂らなくなり、喫煙しなくなった。サプリメントにこだわっていた時期もあったが、ここ数年ほとんどサプリメントは摂っていない。
少なくとも5年はヴィーガン(完璧主義や宗教ではない)として生きているが、健康状態は良好である。
精神と肉体という二元論は健康面でマイナスに働く
実験で判明したのは「精神と肉体を分けると問題が発生する」ということ。マインド技研として発表してきたコンテンツでも、心の技術と結界魔術について述べてきたが、この実験から得た知見である。
- 分けると分離し、健康の本質を見誤る
- 人間装置は心の技術でつくられた一部である
- 情報密度の高まりと相対性が性能のカギ
休職したり、心療内科に通われた経験があれば分かると思うが、生活習慣とメンタルは一体である。精神だけが清らかで、肉体が荒んでいるという現象はない。分離・絶対性・二分法・二元論は人類が誤解し、誤用し、歪曲してきた概念であり、多くの機能不全を引き起こしてきた。
ホリスティックという言葉を使うと捻じ曲がってしまう。ニューエイジ的かつスピリチュアルなプロパガンダによって多用されてきたため。ここではシステムとその創発性として理解したい。
本質的にいうならば、心の技術として錬金術や魔術を理解するならば、健康面でプラスに働く。
歪なこだわりは負荷となるが、調和へのこだわりは重要
経験から理解したのが、バイオハック的で偏執的なこだわりが負荷となっていたことである。
油にこだわり、サプリメントにこだわり、運動にこだわり、睡眠の質にこだわり、断食の時間と糖質の量にこだわり…とやっているうちに、ゴミを大量に抱え込んでいたことに気づいてしまった。
もちろん、この「余計なものを取り込まない」という習慣で健康になったことは事実である。しかし、こだわりも行き過ぎると逆レバレッジとなり、本質を見失う。
心の技術を研究して理解した重要なことは「物質的な成分だけで可否は決まらない」という事実である。もっと重要なのは、システム創発性で述べたとおり、全体最適であり、自然環境と自身が目指す方向に調和するよう微調整を加えていくことである。
マインド技研がコンサルの概要説明ページに以下のように記載しているのは、それが理由。
切迫課題から始め、根本原因を特定し、切迫課題にデジタル戦略や事業戦略、根本課題にマインド技術を適用することで、進化の種を植えるお手伝いをさせていただきます。
こだわらないモノゴト
こだわらないモノゴト。シンプルに表現するならば、次のようなモノゴトである。
- 過去のデキゴトや古い概念
- 固定観念や偏見、思い込み
- 物質偏重型の科学や療法
行き過ぎたサプリメントへの投資、断食や糖質制限への強烈なこだわりが「逆レバレッジ」として機能することはすでに述べたとおり。
感覚的には、常時軽く飢えている状態でリラックスを強要し、ダブルバインド状態が精神と肉体を圧迫しているようなものである。コカインを吸って、睡眠薬でリラックスしようとしているジャンキーのように。
同じことが過去のデキゴトや古い概念にも当てはまる。古典を避けるべき理由については、過去の考察ログ「情報密度の高まりを実感する」の項目「古典・思想・学問が邪魔な理由」で述べたとおり。
システムを固定された絶対音感のように扱う古い思想や教え、システムの部分だけにフォーカスし、結果に働きかけることで原因を変えようとする物質偏重型の科学も(新しい対処法にとっては)有害であり、障害。
これらのモノゴトに対するこだわりを捨てるだけでも、状況は好転し、知覚する世界も変化する。
こだわりたいモノゴト
こだわらない、こだわらない、と呪文のように唱え始めると問題になってくるのが、こだわるべき時に無視してしまうということ。この原因は古いこだわり、つまり固定観念や思い込みからきている。それは「極端で単純な二分法」というモノサシであり、こだわりである。
- 自律し、責任を持つ
- 問題を多角的に調べる
- 情報を鵜呑みにせず、検証する
上記のような姿勢にはこだわりたい。これだけフェイクやプロパガンダ、マインドコントロールで満たされている世界で、このようなこだわりを捨てることは致命的である。
自分を律し、責任を持ち、情報密度を高め、変数を圧倒的に増やし、多角的な検証を欠かさず、平面的ではなく立体的に考えることは、ぜひともこだわりたいモノゴトである。
宣言と目標はすべてに先行する
捨てるこだわりと、採用するこだわり。その質と量が判明したので、そもそも論を語りたい。
それなりに長い年月、実験と試行錯誤を続けてこれたのには理由がある。それは「人生の使命や目標を定め、その達成のために手段としての健康が必要になった」ためであり、その逆ではないということ。
2010年代に経験した非常に厳しい状況。これが「集合的に見ている悪夢を終わらせる」という決心になった。その悪夢を止めるには、世界の真実を知り、根本課題の解決法を探る必要があった。それを長期で遂行するには、健康で長く使える人間装置が必要であったのだ。
このようなロジックとシステムは宣言であり、目標であり、情報エネルギーの方向性を決めるという意味で戦略である。その使命・目標・戦略に沿って意思決定をしていけば、生活は必然的に戦略的になる。
つまり、恣意的で、場当たり的で、その場しのぎの悪夢からの解放であり、それは自律・責任へのこだわりによって為される。これが文明基盤であり、私たち人類の新たな「思考様式・行動規範」となっていく。
設計を理解し、自然と調和する
ただし、宣言と目標に戦略的にこだわるとはいっても、柔軟性と俊敏性を失くすほどこだわってはならない。さじ加減が非常に精妙であり、ゆえに精神ではなく精心の時代を生きなければならない。神頼みであってはばらない。心を技術しなければならないのだ。
よく宇宙論や精神論で言及される「自然」とはなんだろうか?
それは「アヌンナキやシリウス人が設計・開発・運用してきた仮想宇宙と幻想系」である。その一部に人間装置という具現化・顕現が含まれる。それゆえ、監獄次元や幻想世界から出るためには、この自然を理解しなければならないのである。
この深淵かつ秘教的な理由により、古代から錬金術師は「自然の書」を熱心に探究してきたのである。
この広大で複雑な宇宙システムという自然。システムとテクノロジー(系と技術)は中立であり、開発の目的と設計思想に問題があった。その仮想宇宙の外まであなたの意識を拡大させ、浸透させ、その上で自然と「新しい方法で関わり、新しい方法で問題を解決する」必要がある。
そのために、宣言・目標・戦略とその基盤である思考様式・行動規範にこだわり、柔軟かつ俊敏に調整し、人間装置の健康と能力を取り戻していくことが重要。その根本要素に遺伝系があり、活性化がある。
人間装置の性能と健康を取り戻すには、こだわりを捨て、こだわりを整え、長期的かつ戦略的に行動することが必要なのである。その過程で、性能や健康は(意識拡大として認識される情報密度の高まりと共に)開発されていくことになる。
結論・解決策
人間装置の性能と健康を取り戻すために必要な問いは「人間装置の性能を引き出すには」であり、それは宣言・目標・戦略というシステムとロジックに立脚した、心の技術の長期的な活用であることが理解された。
ネガティヴ・ケイパビリティと矛盾についてよく言及されるように、一見矛盾し、ダブルバインド的に思えるモノゴトも、立体・多角・高密度の観点から再認識することでアッサリ論点が解ける。
そのためにアセンションのプログラミングを手放し、スピスピしたこだわりを捨て、フワフワした思想を諦め、自律や責任に柔軟かつ俊敏にこだわることで、監獄次元・仮想宇宙・幻想系・遺伝系の縛りを解いていくことが可能になる。その過程で活性化が非線形的に起こり、性能と健康は取り戻されていく。
ヒトコトでまとめるならば「明確な意志を持って、こだわらないでこだわる姿勢」が性能と健康を取り戻すカギなのである。