子供のように「ものづくり」技術を研究する

考察ログ - Posted by Mana Kaneuchi on 27 September 2024
通常とは異なる方法で、心の技術を研究する。新時代の豊かさを創造する「ものづくり」は、子供のように試すことで育まれるのではないだろうか。

概要

文明基盤に問題がある。文明基盤に立脚した学問や科学も問題を継承している。学問や科学に基づいた技術も問題を抱えている。この継承と連鎖を回避しながら新技術の研究開発に取り組むには、子供のような取り組みが有効だ。


心の技術でエーテル寺院をつくる練習

先週、突然レゴブロックを持ち出してきて「エーテル物質で寺院を建てるにはどうすれば良いか」をシミュレーションした。

ブロックに限りがあるので、色味を合わせられずに妥協したが、半日夢中になって試作した。つくっている最中は、方角とエネルギーの関係とか、中庭に配置する装置の仕様とか、門と建造物のシステム的な連携など、いろいろなことを妄想しながら部品を漁っていた。

中央に配置する回転式の塔は(エーテル的な)水晶でつくるべきだとか、四方の風と合わせてエネルギーの出入口を配置すべきだとか、鳥居の封印を逆にすると結界術はどうなるかなどを詳細に妄想した。

他人から見たら単なるレゴ遊びにしか見えない行動。実は「心の技術でエーテル物質から装置を組み上げて稼働させるにはどうしたらよいか」という、重要なテーマが試作の目的であった。

星々のエネルギーを集積し、エーテル素材と組み合わせるためのアイディア。

これからの「ものづくり」に求められる技術である。妄想と瞑想が交錯するような時間ではあったが、錬金術でいう白のメダルを詳細に描き、黄色から赤色へと変化させていくためには「手作業」が有効であるという手応えを得た。つまり身銭を正しく切り、手を突っ込んで汚すことが新時代を切り拓くのである。


瞑想の要領で電磁環境から現実を創造する

今週、音叉やシンギングボールを録音して「心の技術で電磁的な現実をつくりだす図面」を音で表現する試みを行ってみた。

映像は後でつけたもので、音源はマインド技研の公開研究レポジトリからダウンロードできる。タイトルは「electromagnetic wind generator(電磁的な風の発生装置)」であり、微細なレベルの電磁力を徐々に集積・増幅し、ホログラムのように立体展開する方法を図面ではなく音で表現したものである。

以前、カンボジアでTM瞑想を習った時期に、ニュースで見た原子力発電装置の設計図が瞑想の構造的な体験に似ていたことから、心の技術も産業技術も根底にあるものは同じであるという確証を得ていた。

錬金術ではよく「混沌から秩序を引き出す」という表現を使う。この表現は絶対的なものではなく、相対的に機能する変数やフレームワークである。

心の技術とエーテル物質という条件であれば、エーテル物質の豊富な場が混沌であり、心の技術が秩序をもたらす術である。人間装置と文明がテーマであれば、混沌が遺伝系と幻想系であり、秩序が天の周期やエーテルに組み込まれたローカルなプログラムなどである。

新しい文明の「ものづくり」において、設計図はもはや図面として描かれなくなっていく。静的な対象から動的な対象へと「ものづくり」環境が進化するにつれ、音や動く仕様書などが普及すると予測する。

さらにいえば、設計図がそのまま稼働するようになるだろうし、動く試作品がそのまま改善を重ねて実用化されていく。デジタル自動化における試作品が、そのまま実用化に耐えうる品質を持つことからも、動く仕様書の時代はもうすでに始まっている。

音による設計図で視覚化を促し、有機的に人間装置を経由して創造する手法も生まれてきそうだ。


あなたの内なるアーティストを目覚めさせよう

新しい豊かさを創造する「ものづくり」のプロとして、あなたの創造性を覚醒させる方法はなんだろうか?

今月、サンマーク出版の書籍を買った。ずっとやりたかったことをやりなさいシリーズで、毎朝3ページの日記をつけながら、毎週1回は創造性を刺激するために出かけるという習慣づくりの本である。2冊目になると、散歩の習慣も追加されるようだが、筆者はまだ2週目なので、散歩は13週目から取り入れる予定だ。

子どもは桁はずれのスピードで学んでいく。観察していると、興味から興味へ渡り歩き、むさぼるように学んでいくのがわかる。ブロック、クレヨン、レゴ、あの手この手でいろいろと試していく。 — ジュリア・キャメロン

自分を子供のようだと考えたことはなかった。しかし、この文章を読んで「あぁ、自分は他人から見たら子供だったんだな」と理解した。とても新しい気づきだった。

直近10年間、スマホで200以上のアート作品をつくったり、オイルパステルで絵を描いたり、毎月住む場所を変えたり、戦略や構想を練るためにレゴブロックで遊んだりしてきた。

プレゼン資料作成ツールでアートをつくったり、山に入って鳥や水の音を録ってサウンドアートにした。デジタル技術で150以上の自動化を組んで検証もした。

すでにご覧いただいた通り、試作品の出来はよくない。この状態でも出せるかどうか、アイディアを共有できるかどうか。それが子供であるかないかを左右するのではないか。そのように思えてきた。

もちろん、筆者も初めからガンガン出せていたわけではなく、英語のメール3行書くだけでも大騒ぎだったり、音源ひとつ友達に共有するだけでも胃が痛くなっていたのである。

何度も無視され、貶され、馬鹿にされ、恥をかきまくっているうちに、いつのまにか試作品や構想を素早く「出せる」ようになっていた。

あなたはどうだろうか?貴社の戦略会議や商品開発はどうだろうか?行き詰まった時、どんなリフレッシュを行なっているだろうか?動画や音声を倍速にして、大量の情報を消費しているだけだろうか?

以前、起業家を支援するインキュベーション事業の技術責任者を担当していた時、デザインスプリントのワークショップに参加したり、サービスデザインのセミナーに出たり、専門家を招待して起業家相手に講演いただいたりした。

自由なアイディアを大量に付箋に書き出し、他人の付箋と混ぜて、ランダムに組み合わせるというレゴブロックのようなワークショップに参加したことがある。これがとても面白い。

何が面白いかというと、普段本やネットの情報を引っ張ってきてアレコレいう人に限って、付箋を書けないのである。自分のアイディアが採用されるように操作しようとしたり、操作がうまくいかないと不貞腐れる大人もいた。彼らは役職持ちだったりするのである。

つまり、私たちはみんな子供のような側面を持っており、内なる創造性を覚醒させるには、その子供のような部分を「どのように引き出すか」が重要なのだと気づいた。

ただ自由奔放なだけではうまくいかない。他者からの「突き抜けている」というコメントには否定の意味が込められる。常識はずれ・社会不適合という指摘には、排他性を強く感じる。

よく〇〇思考という。書籍でもアート思考とか、システム思考とか、デザイン思考というタイトルが目立つ。思うのだが、思考として云々するまえに、アートをつくればいいのでは?と思ってしまう。

システムも同様で、システムを組んでみればいいだけだ。デザインもまったく同じで、何かサービスやプロダクトをデザインしてみればいいのだ。今は専門的な知識や経験がなくてもある程度のところまでは自分でできる。デジタルであれば、ほとんどコストをかけずに検証できる。

あなたの内なる子供は、そうしたいのではないだろうか?あなたの内なるアーティストは、思考を定義して論じる前に、やってみることでその本質を理解するのではないだろうか?

ムダな会議や資料作成に時間を割きまくるのではなく、ちょっとつくってみるのが効果的だと思う。

実際、大企業の事業開発プロジェクトでも、試作品やビジュアルを出すと喜ばれる。話が早いし、意見がドンドン出てくる。大体の場合、コメントは否定的なものばかりであり、日本人と仕事しているとほぼ100%粗探しの場になってしまう。

しかし、それでも試作したり、実践の上に成り立つ戦略や構想は、卓上理論の何倍も楽しく効果的だ。

現代日本の文化特徴でもある「排他・不安・不寛容」を払拭し、あなたの創造性と内なるアーティストを活性化させる方法。それは、呪文「安心・安全」ではないはずだ。むしろその逆で、小さな冒険と楽しい試作なのではないだろうか。